ピアノコンクールを、予選から決勝まで、順を追って描いた作品は、
小説であれ、映画であれ、テレビであれ、多くありません。
その中で、「蜜蜂と遠雷」は、コンクールの緊張感や、難しさを良く描いており、
まるで、プロ演奏家のエッセイのような「みずみずしさ」があります。
主な登場人物は4人。
風間塵(かざま じん) 16歳
栄伝亜夜(えいでん あや) 20歳
マサル・カルロス・レヴィ・アナトール 19歳
高島明石(たかしま あかし) 28歳
風間は、正規の音楽教育をほとんど受けていない、孤高の天才。
栄伝は、幼いころ、天才少女と言われたが、母の死のショックのため、ピアノから離れる。
マサルは、正統派の音楽教育を受けた、今大会の注目の的。
高島は、楽器店勤務のサラリーマンだが、ピアノへの情熱を捨てられなかった。
この4人を軸にしてストーリーは進んでいきますが、少しでもクラシックをかじっていれば、文面から、演奏者の音が聞こえてきそうなくらいの緊張感や、会場の空気が描かれています。
この作品を読んでいて思うのは、「才能」とか、「能力」とか、「プロで生計を立てる」
とは、なんなのか、ということでした。
今の世の中、ピアノを教えてくれる学校は、世界中にいくらでもあります。
毎年何万人という、ピアニストのたまごが産まれてきます。
でも、コンテストに出られるのは、全体の数%です。
プロになれるのは、そのまた、数%。
プロで飯を食えるのは、そのまた数%。
音大に入るだけでも難関なのに、ピアノで生計を立てられるのは、全体の1%以下です。
このことは、野球でも、ミュージシャンでも、俳優、アイドルでも同じで、
大勢の人から、お金を払ってでも応援したいと思われて、
その人気が、いつまでも続く人というのは、宝くじで10億円当たるより難しいかもしれません。
ピアノが上手いから売れる? 違います。
顔がカッコいいから売れる? 違います。
才能があるから売れる? 違います。
音楽家であるならば、楽器が上手くなくてはいけません。
しかし、実際に売れる人は、それだけではなく、
技術も、才能も、人つながりも、ラッキーも、時代の流れも、
全部、味方に付けるような人が売れるのです。
「蜜蜂と遠雷」を読み終えて、
才能とか、売れるとか、コンクールとか、
いろいろなことを考えさせられました。